M&A市場が興味深い動きをみせています(*1)。
新型コロナウイルスの感染拡大(以下、コロナ禍)による経済活動の低下でM&A件数自体は減っているのですが、企業の危機感が高まったことで、株式譲渡型のM&Aが増えるだろうとみられています。
買い手企業には、経済情勢が見通せない今だからこそM&Aで経営体力を増強する狙いがあるようです。
そこで本稿では、売上拡大や新規事業進出を狙ったIT業界のM&A動向を探りました。
*1:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61137780T00C20A7DTA000/
1 この記事の構成(2社のIT関連のM&A事例)
本稿の構成を紹介します。
まず、次の2つの事例を確認します。
- 日本電気株式会社(以下、NEC)のセーフティ事業の拡大を狙った海外企業の買収戦略
- ソフトバンク株式会社傘下で、ヤフー株式会社などの持ち株会社Zホールディングス株式会社とLINE株式会社の経営統合
NECは買収(M&A)を、SBGは経営統合を使っています。両社とも事業拡大や新規事業への進出といった積極的な経営を展開しているのに、採用する手法は異なっています。
そこで、この2つの事例を比較しながら、「事業拡大と新規事業進出」と「M&Aと経営統合」の最適なマッチングを考察していきます。
2 NECはセーフティ事業で巻き返すためにデンマークのIT企業を買った
NECは2021年3月期(2020年4月~2021年3月)の目標を、「売上高3兆円、営業利益1,500億円、当期純利益900億円、フリー・キャッシュフロー1,000億円」としました(*2-1)。このうち営業利益の目標額1,500億円は、2018年3月期(638億円)の2.3倍という強気の設定です。
NECはこの目標を実現するために、コロナ禍前から布石を打っていました。
布石とは、「守りとしての収益構造改革」と「攻めとしてのセーフティ事業の拡大」と「M&A戦略」です。
*2-1:https://jpn.nec.com/ir/library/annual/2018/management/plan.html#top
(1) NECの守り「収益構造改革」
「売上高3兆円、営業利益1,500億円」などの強気の数字は、「2020中期経営計画」で示されました。この計画には「守り」と「攻め」が盛り込まれています。守りで無駄を省き、攻めで事業拡大を目指します。
そして、NECは守りのほうを、攻めより優先しているようです。同計画の「1」が「収益構造の改革」で、「2」が「成長の実現」になっていることから、NECの優先順位を推測できます。
NECの収益構造改革とは、節約と、やめるものはやめる取り組みです。
具体的には、1)SGA(販売費と一般管理費)削減、2)エネルギー事業の一部の売却、3)テレコムキャリア事業の縮小を行うことで、会社のスリム化を図ります(*2-1)。
エネルギー事業の「リストラ」対象となるのは、電極事業と小型蓄電事業です。
テレコムキャリアとは、電気通信事業者のことで、この業界は市場の変化が激しいことから縮小を決めました。
(2) NECの攻め「セーフティ事業の拡大」
NECがスリム化を急ぐのは、事業拡大に必要な体力をつくるためです。「守り」を優先していますが、メーンシナリオは「攻め」です。
NECの攻めのメニューはいくつかありますが、この記事ではそのうちの1つであるセーフティ事業に着目します。
セーフティ事業とは、社会と生活の安全、安心、高効率化を、ITで実現する事業です。セーフティな社会と生活を実現するには、デジタル政府、スマート交通、デジタル・ヘルスなどの事業が必要で、これらの基盤になるのはNECの得意分野であるIT、IoT、AI、ネットワークになります。
ただ世界のIT市場、IoT市場、AI市場、ネットワーク市場において、NECが特別優位な地位にあるかというと必ずしもそうとはいえません。
まして「売上高3兆円、営業利益1,500億円」を目指すのであれば、補強は欠かせません。
そこでNECが取った戦略が、欧州でのM&Aでした。
(3) NECは欧州を舞台にM&A戦略を展開
NECは2019年2月、デンマークのIT最大手「KMD社」を約1,360億円で買収しました(*2-2)。さらにそのKMD社は2020年1月、子会社「バンクソフト社」を通じて、デンマークのソフトウェア会社「イーフォーカス社」を買収しました(*2-3、2-4)。
NECが持つKMD社、バンクソフト社、イーフォーカス社には次のような特徴があります。
ア KMD社の特徴
ソフトとITサービスを提供する。特に中央政府や地方政府向けソフトに競争力がある。
デンマークは国連・経済社会局が2018年に発表した「世界電子政府ランキング」で1位になったが、これはKMD社の貢献が大きい。
KMD社は、NECのデジタル政府事業への進出をサポートする。
また、NECは、自社の生体認証技術やAIと、KMD社のソフトを組み合わせることで、セーフティ事業を拡充していく。
イ バンクソフト社の特徴
ノルウェーの会社で、金融機関向けソフトが得意。顧客は北欧、ポーランド、イギリスにいる。
ウ イーフォーカス社の特徴
バンクソフト社同様、金融機関向けソフトを開発している会社。
NECの欧州M&A戦略については、後段で、NECの新野隆CEO(2020年7月現在)のコメントを参考にしながら考察していきます。
*2-2:https://www.nikkei.com/article/DGXLRSP499160_X21C18A2000000/
*2-3:DGXLRSP526388_X00C20A1000000
*2-4:https://jpn.nec.com/press/201902/20190228_03.html
3 ソフトバンクは経営統合を急ぐ
ソフトバンクといえばM&Aで次々企業を買収していく会社というイメージがありますが、ここで紹介するのは、同社の経営統合戦略です。
(1) 「企業群」についての知識の整理
ソフトバンクの経営統合戦略を見る前に、ソフトバンクの企業群に関する知識を整理しておきます(*3-1、3-2、3-3、3-4、3-5、3-6)。
孫正義氏が取締役会長兼社長を務めるのはソフトバンクグループ株式会社(以下、SBG)です。ソフトバンク企業群のなかでは、このSBGがトップ企業となるわけですが、SBGは現在は投資会社のような存在になっています。
「ソフトバンクといえばスマホ事業」というイメージが強と思いますが、移動通信サービスやスマホの販売をしているのはソフトバンク株式会社(以下、SB)です。
SBの大株主はSBGです。
この記事で紹介するのは、SBの経営統合戦略になります。
SBの傘下に、Eコマースやネット広告のヤフー株式会社があります。ただヤフーは、SBの傘下であると同時に、Zホールディングス株式会社(以下、ZHD)という持ち株会社の下にぶら下がっています。
そしてZHDの大株主は汐留Zホールディングス株式会社という会社です。
ZHDの大株主は元はSBでしたが、SBは2019年11月に、ZHD株をSBの子会社の汐留Zホールディングスに売却しました(*3-7)。
ここまでの情報を整理すると、以下のような状態になっています。
- SB>汐留Zホールディングス>ZHD>ヤフー
SBがなぜ自社の企業群を再編したのかというと、ZHD(ヤフー)と、国内最強SNSの1つであるLINEの運営会社を経営統合させるためです(*3-7)。
SBはLINEのどこに魅力を感じたのでしょうか。
*3-1:https://group.softbank/about/profile
*3-2:https://www.softbank.jp/corp/aboutus/group/
*3-3:https://www.z-holdings.co.jp/company/groupcompanies/
*3-4:https://www.z-holdings.co.jp/ir/stock/info/
*3-5:https://about.yahoo.co.jp/info/company/
*3-6:https://www.softbank.jp/corp/ir/stock/info/
*3-7:https://www.softbank.jp/corp/news/press/sbkk/2019/20191118_01/
(2) LINEの魅力とは
日本最大級のSNSであるLINEは「LINE株式会社」(本社・東京都新宿区、以下、LINE社)が運営しています(*3-8、3-9)。
LINE社の大株主は、韓国のネット大手、NAVER Corporation(以下、ネイバー社)です。
そして2019年12月に、ZHDとLINEは、経営統合することで合意しました。
経営統合の方法はこのようになります(*3-10)
まずSBとネイバー社がLINE社の株を取得して、LINE社の上場を廃止します。
次にSBとネイバー社が半分ずつ出資して、新しい会社をつくります。
その新会社がZHDの親会社になり、ZHDはLINE社とヤフーを傘下に収めます。
つまりこのようになります。
- SBとネイバー社による新会社>ZHD>LINE社とヤフー
SBはなぜ、そうまでしてLINE社を手に入れたかったのでしょうか。SBにとってのLINE社の魅力とはなんなのでしょうか。
また、LINE社を持つ韓国のネイバー社は、なぜSBとの経営統合に合意したのでしょうか。ネイバー社にとってのSBの魅力とはなんなのでしょうか。
「SBとネイバー社」と「ZHDとLINE社」は、お互いに自分が持っていないものを相手が持っている関係にあります。LINE社の幹部は「我々とSBは補完的な関係にある」と話しています(*3-11)。
SBやZHDには強い営業力と魅力的なコンテンツがあり、ネイバー社とLINE社には国内有数のSNSとアプリの開発力があります。
SBとZHDは手広く商売をしていますが、SNSと開発力が欠けていました。大きなジグソーパズルをつくっているSBは、ようやく欠けていたピースを手に入れることができるわけです。
一方のネイバー社とLINE社は、より大きくなるための「たにまち」が必要でした。SBとZHDの後ろ盾を得て、自分たちの強みをより強固にしていくことができます。
*3-8:https://linecorp.com/ja/company/info
*3-9:https://linecorp.com/ja/ir/stock/
*3-10:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53701070T21C19A2TJ2000/
*3-11:https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/111400868/?P=1
4 【考察】なぜNECはM&Aを、SBは経営統合を選んだのか
NECの戦略もSBの戦略も、事業を拡大したり新規事業に挑戦したりするために「お金を出して他社の力を得る」点では同じです。
しかしNECはその手法としてM&A(企業買収)を選び、SBは経営統合を選択しました。なぜ目的は同じなのに、選んだ手法が異なるのでしょうか。
M&Aには「一体感」、経営統合には「独立性」という特徴があります。
M&Aでは、大きな企業が、力はあるものの規模が小さい企業を取り込むことになります。そしてM&Aが完了すると、両者は1つになって進んでいきます。
経営統合では、統合する複数の会社はそのまま存続します。事業内容もこれまでとおりです。そして統合したことで、相手の資産や市場を借りたり、相手の支援を受けやすくなったりするというメリットを得ることができます。
NECはセーフティ事業のソフトを必要としていました。それでデンマークのKMD社を買収しました。NECは自分たちと一体になってくれるソフト会社を探していたのです。だからM&Aが適していると判断しました。
NECには強い危機感がありました。NECの新野CEOがインタビューで「企業文化を抜本的に改革する」「強いNECを取り戻す」「これまでの当たり前を捨てる」と述べるほどです(*4-1)。
しかし、同時に新野CEOは「受け身の姿勢では先がない。我々自身が新しい市場をつくっていかないといけない」とも述べています。
危機的状況でありながら、力強く前進していかなければならないとき、M&Aは有効な手段になることがわかります。それはM&Aによって、どうしても自社で生み出せなかった強みを簡単に獲得することができるからです。
もちろん、実際に買収した会社と一緒にシナジーをつくっていくことは簡単なことではないでしょう。しかしM&Aをせず自社でやろうとすれば、大規模な初期投資が必要になりますし、人材も育てなければなりませんし、マーケティングも必要です。そしてそこまでしても後発組としてもがくことになります。
それよりはM&Aしたほうが合理的ですし、時間の節約にもつながります。
SBにも、LINE社を買収する選択肢はあったでしょう。
ヤフーはショッピング、スマホ決済(PayPay)、中古品売買仲介(ヤフオク)、ファッションEC(ZOZO)、トラベル、ニュース配信(ヤフー・ニュース)、ファイナンス、ゲーム、不動産、自動車などさまざまなサービスを展開しています。そこに強力なSNSであるLINEをラインナップしたいと考えるのは自然です。
しかしLINE社がSBによって買収されてしまうと、LINE社やその親会社であるネイバー社は、独自の事業を展開できません。ネイバー社もアジア展開を狙っている会社なので、ドル箱であるLINE社の売却は得策ではありません。
しかも、経営統合であっても、LINE社を取り込むことは、SBとZHDに大きなメリットをもたらします。それは、日本だけで8,400万人ともいわれているLINEユーザーです(*4-2)。LINE社と経営統合すれば、これだけの人々にSBやヤフーのサービスをPRすることができます。
つまり無理にM&Aしなくても、経営統合でも十分、SBは「LINE効果」を享受することができるわけです。
このように、NECのM&A戦略とSBの経営統合戦略は、どちらも合理的であることがわかります。
*4-1:https://newswitch.jp/p/15895
*4-2:https://webtan.impress.co.jp/e/2020/06/17/36097
5 まとめ~相手の力をどう取り入れるか
M&Aを上手に使えば、自社に足りないものを補うことも、事業を拡大することも、新規事業に乗り出すことも、短期間で実施できます。
ただM&Aには、どうしても「買う・買われる」「大小」「強弱」という差ができてしまうので、買われる側に少なからぬ抵抗が生じます。
そこで経営統合という選択肢が出てきます。経営統合であれば、M&Aほどの強い絆は生まれませんが、それでも十分「M&A級」のシナジーを得ることができます。
どの業界でも、自前主義だけでは生き残ることが難しくなっています。そうなると他社の力を取り入れることになりますが、「取り入れ方」にはいくつか種類があるので、自社の経営環境と自社が属している業界の事情を勘案して、最適な手法を選択することになります。