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なぜ「ビデオ会議のZoom」は「暗号化技術のキーベース」を買ったのか

新型コロナウイルス感染症の拡大(以下、コロナ禍)で、ビデオ会議システム「Zoom」が大躍進しています。
居酒屋に行けなくなったビジネスパーソンたちが、自宅でZoomを使ってオンライン飲み会をしたり、テレビのニュース番組では、別室にいるコメンテーターがZoomを使って出演したりしています。

Zoomを運営するアメリカ企業の「ズーム・ビデオ・コミュニケーションズ」(以下、ズーム社)は2020年5月、暗号化技術が得意なアメリカのセキュリティ企業「キーベース」(以下、キーベース社)を買収しました。

表向きはセキュリティの脆弱性が露呈したズーム社が、社会的な批判をかわすためにキーベース社を買収したことになっています。もちろん、それがズーム社の本音でもあるでしょう。
しかしこの買収は、もう少し「深読み」することができそうです。

1.Zoomのキーベース買収の経緯

キーベース社の買収額は非公開ですが、同社は社員25人の中小企業です。多くの日本人にとってキーベースは無名の存在だと思いますが、この買収については世界でも日本でも大きく報じられました(*1、2)。
このニュースが世間の注目を集めた理由は3つあります。

  • Zoomがインターネット・ユーザーに大注目されていた
  • ハッカーによる「Zoom爆弾」が社会問題になっていた
  • 時宜にかなった効果的な買収だった

ズーム社とキーベース社の概要については後段に譲り、まずは買収の流れを押さえておきましょう。

*1:https://jp.reuters.com/article/zoom-video-commn-acquisition-idJPKBN22K05Y
*2:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58849170Y0A500C2000000/

(1)Zoomはインターネット・ユーザーに大注目されていた

コロナ禍がなかったら、Zoomも、ズーム社によるキーベース買収もこれほど注目されなかったでしょう。
コロナ禍対策として打ち出されたソーシャル・ディスタンスやテレワークの推進、外出禁止や外出自粛により、Zoomの利便性が世界的に認識され、ユーザー数はそれまでの数千万人規模から、2020年4月には「億人」規模に急増しました(*3)。
Zoomは、新たな社会インフラ、ネット・インフラとして、一躍「時のシステム」になりました。

*3:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57889130Z00C20A4XR1000/?n_cid=DSREA001

(2)「Zoom爆弾」が社会問題になっていた

Zoomブームの最中に、ハッキング事件が多発しました。FBI(米連邦捜査局)が動き出すほど事態が深刻化したことから、マスコミはこの騒動を「Zoom爆弾」と呼びました(*4)。
Zoomが強く支持されればされるほど、ズーム社はセキュリティに対して大きな責任を負うことになります。そして、ズーム社が出した解決策が、キーベース買収だったわけです。

*4:https://www.neweconomy.jp/posts/51284

(3)時宜にかなった効果的な買収だった

ズーム社のCEO、エリック・ユアン氏は、従前は、自社でセキュリティ体制を構築する予定だったと語っています。ユアン氏は「Zoom爆弾」対策を講じるのに90日計画を立てていました。 しかし、のんびりと自前主義を貫いていては事態を収拾できないと考え、求めていたセキュリティ技術で先行していたキーベースを買収しました(*4)。 企業が成長するまでセキュリティを強化していなかった点は批判されるかもしれませんが、セキュリティの課題を、新進気鋭のセキュリティ会社を買収することで解決を図ったことは、評価されてよいでしょう。

2.ズーム社とは、Zoom問題とは

以上、足早にズーム社によるキーベース買収を振り返ってみましたが、これだけなら急成長しているIT企業・ネット企業では「よくあること」といえます。 そこで考察を深めていきたいのですが、その前にズーム社とキーベース社の概要について押さえておきます。 まずはズーム社から確認していきます。

(1)「もっと使いやすいサービスを」と2011年に設立

ビデオ会議システムのZoomには、1)特別新しいサービスではない、2)とても快適、という2つの特徴があります。
インターネットを使ったビデオ通話システムであれば、スカイプが世界中に普及しています。そのためZoomのサービス内容には、サプライズはありません。
しかしZoomは、その他のビデオ通話サービスより、圧倒的に快適に使うことができます。アカウントがなくてもZoomを利用でき、スマホでもストレスなく会話ができ、グループ通話に100人以上参加できます。

ユアン氏はズーム社を立ち上げる前に、別のビデオ会議システム会社に勤めていました。そこで「もっと使いやすいサービスをつくりたい」と考え、2011年にカリフォルニア州サンノゼで、ズーム社を設立しました。

(2)成長の足跡

スカイプは、IT業界の巨人、マイクロソフトが運営しています。やはりIT大手のシスコシステムズもビデオ通話市場に参入しています。
新しいうえに小さいズーム社が、巨大市場に後発組として参入しながら成功したことは、Zoomの圧倒的な利便性の高さを証明しています。その技術力が投資家を惹きつけ、ズーム社は2019年にアメリカのナスダック市場に上場しました。

そこに、世界的な逆風であるはずのコロナ禍が、ズーム社にだけは追い風として吹きました。巣ごもり需要の急拡大から、Zoomユーザーは2020年4月には2億人とも3億人ともいわれる規模に膨らみました。

(3)2つの方面から訴えられる

「Zoom爆弾」事件は、ズーム社の拡大期に起きたわけですが、注目を集めている新しいネットサービスがハッカーたちの標的になることは「よくあること」と言わざるを得ないでしょう。セキュリティが脆弱だったことは、「新参企業だから」では済まされることではありません。

ズーム社の株価は、3月下旬に上場来最高値をつけましたが、Zoom爆弾発覚後の4月上旬に30%近く下落しています。ズーム社は株主に集団訴訟を起こされました(*5)。

ハッカーたちは、Zoomを使った企業のビデオ会議や学校の遠隔授業に、差別的な言葉を叫んだり、ポルノ画像を映し出したりしました。
ハッカーたちの手口は単純で、ビデオ会議や遠隔授業のURLやコード番号を類推するだけのものです。つまり、Zoomの「誰でも簡単にビデオ会議に参加できる」利便性が、仇になってしまったわけです。

Zoomの欠点はまだあります。
Zoomのユーザーのデータが、ユーザーに無断でフェイスブックに転送されることがわかりました。ズーム社には実際に、Zoomユーザーのデータをフェイスブックに無断転送する仕様がありました。これは、ズーム社が説明していた内容と食い違っていると指摘されています(*5)。
こうした事態にFBIは3月、Zoomの危険性を世間に警告しました。また、フェイスブック無断転送問題でも、訴訟沙汰になっています(*6)。

こうした複数の大きな問題を解決するために、ズーム社はキーベース社の技術を選んだわけです。
次に、キーベース社の概要を紹介したうえで、同社がズーム社に選ばれた理由を探っていきます。

*5:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57889130Z00C20A4XR1000/?n_cid=DSREA001
*6:https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2003/31/news132.html

3.キーベース社とは、なぜズーム社に選ばれたのか

キーベース(Keybase)社は、マックス・クローン氏が2014年に設立し、ズーム社に買収される前に、約12億円の資金調達に成功しています(*4)。
キーベース社が得意とするのは、エンド・ツー・エンドでの暗号化されたデータ通信サービスです。

エンド・ツー・エンドは、コンピュータ・ネットワークの基本的な考え方です。その内容は、1)通信やネットワークは2つの末端(エンドとエンド)を結んでいる、2)高度な制御や複雑な機能は末端のシステムが担う、3)ネットワークの経路上のシステムでは単純な信号しか扱わない、というものです。

そして、2つの末端システムが、互いに情報を暗号化してから通信することで、ネットワーク経路上に第三者が介入できなくします。これを、「エンド・ツー・エンド暗号化」といいます。

誰でもビデオ会議に参加できるZoomの利便性は、エンド・ツー・エンドの技術が生み出したものです。
しかしズーム社CEOのユアン氏は、自社のエンド・ツー・エンド暗号化の技術が、「億人」規模のユーザーが使う現在のZoomには適していなかったことを認めています。
そしてユアン氏は、「キーベース社の技術は、ズーム社にセキュリティの専門知識をもたらす」と話しています(*4)。

4.キーベース買収を別の角度から眺めてみる

ズーム社のキーベース社買収を、別の角度から眺めてみましょう。 日本のベンチャーIT企業やネット系のスタートアップ(企業)は、「自分たちも社会的に認知される企業へと進化していきたい」と考えているはずです。そのような企業の経営者にとって、今回のZoom騒動は参考になるはずです。

ポイントは、1)セキュリティを置き去りにしたときの代償の大きさと、2)ネットの巨人たちからの猛攻撃です。

(1)セキュリティを置き去りにしたときの代償は大きい

アメリカの映画「羊たちの沈黙」やドラマ「クリミナル・マインド FBI行動分析課」を見たことがある人なら、ある出来事にFBIが関与することが、アメリカのなかでどれほど大きな意味を持つのかご存知のはずです。
FBIは、全米を震撼させるほどの重大犯罪を扱う組織だからです。

例えば日本では、インターネットやITのサービスでトラブルが多発すると、普通は、消費者庁が国民に注意喚起します(*7)。しかし消費者庁は、経済活動のサポート役である経済産業省の傘下の役所であり、巨悪と闘う役所ではありません。
では、もし日本の警察庁が、あるネットトラブルについて注意喚起したら、消費者はどのような印象を持つでしょうか。「犯罪の臭い」がしないでしょうか。少なくとも、消費者庁による監視だけでは手に負えないほどのトラブルが発生したと感じるでしょう。

FBIが3月に、Zoomの危険性を世間に警告したのは、警察庁がネットトラブルに関心を持つのと同じくらいのインパクトがあります。
FBIに目をつけられたことを知ったズーム社の幹部の驚きと恐怖は想像に難くありません。

ニューヨーク市も4月、学校でZoomを使うことを禁止しました(*8)。ズーム社はすぐにニューヨーク州の司法当局と協議し、対策を講じることを約束しました。
その甲斐あって、ニューヨーク州の司法長官は5月に「プライバシー保護強化など幅広い問題でズーム社と合意した」と発表しました(*9)。

ズーム社CEOのユアン氏は4月に、自身のブログで「Zoomは、多数の人が使うプラットフォームの体(てい)をなしていなかった。深くお詫びする」と完全に非を認めました(*10)。
裁判を控えている身でありながら、企業のトップがここまで明白に謝罪するのは、訴訟社会アメリカでは異例です。しかしユアン氏は、そのようなことを言っていられない状況だったのでしょう。

フェイスブックのCEOであるマーク・ザッカーバーグ氏は、2018年と2019年の2回、アメリカ議会に呼ばれ、マスコミにさらされました。
2018年のときは個人情報の不正流出問題で、2019年は仮想通貨リブラの発行計画で、です(*11、12)。
アメリカでは、ITとネットで成功すると、政府と行政機関から「目をつけられる」という代償を支払わなければならないようです。
日本でも巨大IT企業を規制しようという動きが出てきているので、経営者は十分注意する必要があるでしょう(*13)。

*7:https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_policy/caution/internet/trouble/internet.html
*8:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58849170Y0A500C2000000/
*9:https://jp.reuters.com/article/zoom-video-commn-acquisition-idJPKBN22K05Y
*10:https://www.businessinsider.com/zoom-ceo-sorry-privacy-security-2020-4
*11:https://www.huffingtonpost.jp/2018/04/10/zuckerberg-hearing_a_23408233/
*12:https://wired.jp/2019/10/25/mark-zuckerberg-endures-another-grilling-capitol-hill/
*13:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43877700Y9A410C1EAF000/

(2)ネットの巨人たちからの猛攻撃

独自の発想と技術でスカイプを押しのけたZoomですが、今度はネットの巨人たちから猛追される立場になりました。

先ほどから何度も登場しているフェイスブックは4月下旬に、従来からある対話アプリ「メッセンジャー」の機能を拡充したビデオ通話サービス「メッセンジャー・ルームズ」を発表しました。マスコミはこれを「Zoomへの対抗」と報じています(*14)。
メッセンジャー・ルームズは、時間制限なし、最大50人の参加が可能、フェイスブックのアカウントがない人も参加可能、という「大盤振る舞い」です。
また、ザッカーバーグ氏は、フェイスブック傘下のインスタグラムやワッツアップにも、ビデオ通話サービスを追加するとしています。

グーグルも4月に、最大100人が参加できるビデオ会議システム「グーグル・ミート」を、個人に無料で提供することにしました(*15)。
マイクロソフトの「チームス」もビデオ会議システムで、同社は5月下旬、今後、チームスのアップデートを頻繁に行っていくと発表しました(*16)。

これだけの強力なライバルがいて、Zoomは「踏みとどまる」ことができるでしょうか。まさに正念場といえるでしょう。

*14:https://www.afpbb.com/articles/-/3280272
*15:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58623360Z20C20A4I00000/
*16:https://jp.techcrunch.com/2020/05/20/2020-05-19-microsoft-updates-teams-with-new-automation-and-scheduling-tools-ndi-support-for-broadcasting-and-more/

5.まとめ~Zも加わるのか

Zoomやズーム社が、GAFAほどの存在になるかどうかを想像するのは、早すぎるでしょうか。
しかし、友達との交流ツールに過ぎなかったフェイスブックが、アラブの春という世界的に注目された事件を契機にコミュニケーション革命を起こしたことは記憶に新しいところです(*17)。
そうだとすると、コロナ禍という世界危機において、多くの人々からその利便性が認められたZoomにも、大躍進の機会があると考えてもよさそうです。
ズーム社は今、政府や行政機関や捜査当局から警戒されたり、ユーザーや株主から訴訟を起こされたりと苦境にありますが、これをストレステストと考えると、この状況を乗り越えることができたら、GAFAZになるかもしれません。

*17:https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h24/html/nc1212c0.html

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